【タイ】タイ軍事政権の憲法起草委員会は新憲法案を完成させ、29日午後に一般公開を開始した。
新憲法案によると、国会は公選制の下院(定数500)と軍政が指名する上院(同250)の二院制で、非議員の首相も認める。
2大政党制を狙った1997年憲法の選挙制度改革が軍政の宿敵であるタクシン元首相の台頭を許したとみて、下院は大政党が不利となる選挙制度に変更。不安定な連立政権が成立する条件を整えた。
指名制の上院は2017―2022年の5年間で、軍トップも議員に含まれる。
軍・特権階級が軍事力と司法、傘下の上院を通じ、連立政権で不安定な下院と政府を間接的に支配することを狙った内容で、プレム政権(1980―1988年)の政治体制をほうふつとさせる。
軍政は8月に新憲法案の国民投票を実施し、来年7月に下院総選挙を実施する方針。新憲法案が否決された場合の対応は明らかにしていないが、新憲法案に批 判的なタクシン派の政治家や市民を相次いで「態度矯正」のため拘束するなど、国民投票での可決を力ずくでもぎ取る姿勢を鮮明にしている。
新憲法案について、タクシン派政党のプアタイ党は30日、声明を出し、起草に民意が反映されず、非民主的な内容だと批判。国民に対し、国民投票での反対を呼びかけた。
反タクシン派の民主党は29日、オンアート副党首が記者会見し、新憲法案の内容を精査した上、対応を決めると述べた。
《タクシン派vs反タクシン派》
タイでは2006年以降、東北部と北部の住民、バンコクの中低所得者層の支持を集めるタクシン派と、特権階級、南部住民とバンコクの中間層を中心とする反タクシン派の抗争が続き、政治・社会が混乱している。
反タクシン派はタクシン氏を反王室の腐敗政治家と糾弾し、2006年の軍事クーデターでタクシン政権(2001―2006年)を打倒した。タクシン派は 2007年の民政移管選挙で勝利したものの、2008年に「司法クーデター」と呼ばれた裁判所によるタクシン派与党解党で反タクシン派に政権を奪われた。 反タクシン派政権下の2009年、2010年、タクシン派は、特権階級が軍官財界を動かし民主主義や法治をねじまげているとして、政権打倒を目指すデモを 行い、2010年のデモでは治安部隊との衝突で、市民、兵士ら91人が死亡、1400人以上が負傷した。
タクシン派は2011年の下院総選挙で再度勝利し、タクシン元首相の妹のインラク氏が首相に就任した。しかし、2013年10月から、民主党が主導する 反タクシン派市民のデモがバンコクなどで拡大。2014年1、2月には数万人がバンコクの主要交差点を長期間占拠した。5月に入り、軍が治安回復を理由に 戒厳令を発令、クーデターでタクシン派政権を倒し、全権を掌握した。
軍は当初、両派の和解を目指すとしていたが、タクシン派の官僚、軍・警察幹部のほとんどを左遷し、地方のタクシン派団体を解散に追い込むなど、タクシン 派潰しを推進。2015年1月には、軍政が設立した非民選の暫定国会「立法議会」が、「コメ担保融資制度をめぐる職務怠慢」でインラク前首相を弾劾にか け、前首相の参政権を5年間停止した。
軍政は当初、2016年に総選挙を実施するとしていたが、2015年に軍政傘下の憲法起草委員会が取りまとめた新憲法案を自ら否決。新たに起草作業に入り、選挙時期を先送りした。
タイではクーデターなどで度々憲法が廃止され、その度に新しい憲法が制定されてきた。1997年には、選挙で選ばれた憲法議会を通じて作成された新憲法 が施行され、初の国民参加型で最も民主的な憲法との評価を受けた。この1997年憲法は、2006年の軍事クーデターで破棄された。軍政下の2007年に 制定された新憲法は、議会上院のほぼ半数を非民選とするなど、特権階級の政治介入を制度化し、政党の力を殺ぐ内容となった。この憲法も2014年のクーデ ターで破棄され、現在は軍部が実質的に全権を握る暫定憲法が施行されている。